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連載:ZIPPEDを振り返る

2021.03.10

家で無言の舞台なんて見てられるのだろうか?/公演レポート

  • テキスト:大北栄人

オンデマンド配信中の「無言に耳をすますパフォーマンスフェスティバル『ZIPPED』」。スパイラルが挑戦する、新たなパフォーミングアーツのかたちとして、マイム、演劇、ダンス、美術など多様なフィールドで活躍する気鋭のアーティストによる、「無言」を多角的に捉えた8作品をご紹介しています。
言語の違いや物理的な距離を越えて交流ができるいま、コミュニケーションの本質を捉え直し、新たな可能性を見出す機会であるとも言えます。まだご覧いただいていない方はぜひ、『ZIPPED』のパフォーマンスを通じて、身体が内包する豊かな「無言」の言語に触れ、身体の声に耳を澄ませてみてください。

今回はこのフェスティバルの模様を、参加アーティスト、観客、ライター、カメラマンなど、それぞれの視点から、ZIPPEDの本番や、開催までの各フェーズでは何が起こっていたのかを振り返り、パフォーミングアーツと配信の未来について考えていきます。

無言に耳をすますパフォーマンスフェスティバル『ZIPPED』(オンデマンド配信中)
https://www.spiral.co.jp/topics/spiral-hall/zipped

人が無言でいるときに耳をすましたら嫌がられるかもしれない。無言のときに耳に手を当て向けてくる人がいたらムッとするし、関係性によっては殴ってしまうかもしれない。初めて話を聞いたときには難しそうなイベントだなという印象を持った。

web上で日常のあれこれをおもしろおかしく書くライターをしていて「”無言に耳をすますパフォーマンスフェスティバル『ZIPPED』”をレポートしませんか?」と声がかかった。

ややこしいのは、私は”明日のアー”というコントの舞台を主宰している演劇関係者でもあり、とはいえダンスの知識もないので、いつも通りの「おい、ここへんなことになってるぞ!」的な大工の親方的な視点で書いていこうと思う。

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とはいえ難しそう。無言だしそのうえ配信だ。今、演劇好きと顔を合わせると「配信って見てる?」という話になる。そもそもなぜ私達が舞台を見ているかというと目の前で変なこと起こるのが醍醐味だったわけで、映像配信ではそれができなくて困っている。

それでも演劇や舞台芸術は必要である。理不尽な出来事がつづくこの一年はもやもやとした蜘蛛の巣を心に張らせた。こういうときはわかりやすい表現だと物足りない。抽象的な小難しい何かを目の前にして圧倒されたりじっと考えたりしたいのだ。配信でそんなことができるのだろうか?

大げさだが、私は「家にいながら芸術を享受できるのか」というテーマを掲げて視聴に臨んだ。勝算はある。その作戦は「正座して見る」である。前日には「このイベントを見るぞ」とツイートをし、直前にお茶を淹れて、出演者紹介をよく読んだ。私なりに高めていったのだ。そういえばこの「高め」と「高まり」こそが劇場に足を運ぶことそのものだったのではないかと気づく。高まり、どんとこいである。

時間になると画面が切り替わる。説明のアナウンスが流れる。「最後にお客様の上演環境を整えましょう」とアナウンスが入った。可能であれば部屋を暗くして見てほしいということだった。やはり。私は何も言わず正座した(痛くなってやめるのは後の話である)。あとは部屋の照明を消して、イヤホンをつけた。無言のイベントなので静かだ。ノートパソコンの排気の音が目立つ。不安が高まる。

百瀬文〈オープニングパフォーマンス〉

ビデオ通話のような画面になった。女性が目を開いたり閉じたりしている。事前の情報で知っていたがモールス信号なんだそうだ。原作として紹介されている『I.C.A.N.S.E.E.Y.O.U.』は、アルファベット間にピリオドが打たれている。とすると、この文字がモールス信号になっているのだろうか?※ 正解はわからない。「合ってますよ、I.C.A.N.S.E.E.Y.O.U.なんです」と誰かに言ってもらえると私も安心することだろう。しかしそのうえで表してるモールス信号が「京橋はええとこだっせ」であったとしても、そのことは誰にもわからない(実際、I.C.A.N.S.E.E.Y.O.Uではないそうだ※)。

「私はあなたを見ることができる」と目の前の人が無言で伝えてくる。ビデオ通話の映像っぽいので「あなた」は見ている私のことだろう。これを舞台で見ていたらその「あなた」は複数である「私たち」かもしれない。舞台とはまた別の、配信ならではの表現がここにあるのだろう。

音は出なかった。音がでないと耳をすますというか作品を受け取る集中力が上がった気がする。屁をこくとものすごく大きな音が出て驚いた。なるほど。

屁をこいてなにがなるほどなんだとお思いだろうが、考えてみれば屁をこくというのも配信のよさではないか。私達は劇場で屁を我慢するという非人道的な奴隷のような状況に置かれている。いや、屁はいいか。しかし家はお茶を飲んだり何かと自由が効く。

ゼロコ「裏と表」 Photo: Hajime Kato

2つ目の演目ゼロコ『裏と表』が始まる。パントマイムだ。男性二人が出てきて舞台の出番前のやりとりを無言で演じている。おお、たのしい。今、心の声がもれてしまったがちゃんとパントマイムを観るのは初めてで童心に帰ってしまった。

出番前で何かうまくいかない二人。どうやらラムネが気持ちを落ち着ける薬のような役割をするらしい。そんなドラッグみたいなものを服用してパントマイムをしていたのか…。コメディなのでトラブルが起こる。そのトラブルというのが「ラムネが引っかかって食べられない」という言葉にすると本当にどうでもいいトラブルだった。でも考えてみれば日常はこういうどうでもいいトラブルばかりで、妙に真実を見てるような気分になる。他にも「芸が上手くできない」という失敗の描写もあったり。失敗の描写でさえ体の動きが巧みで見ていて飽きない。人の特別な芸を観ていると満足感がある。

石川佳奈「媒体」 Photo: Hajime Kato

石川佳奈『媒体』へ。「誰かと自分の正しさがぶつかる瞬間…」と説明にある。今っぽいテーマだ。転換の音が聞こえる。そうか、このイベントはリアルタイムなのか。ひょっとしたら失敗するかもしれないぞ、という生の緊張感を慌てて「高まり」につなげる。

人が出てくる。顔がもやっとしててよくわからない。本当の意味での夢みたいだ。こういう顔を思い出せない人が夢の中で出てくるだろう。いろいろな人の声が聞こえてくる。「まちがってる」とか「まちがってま」とか。これだけ言われるのであれば彼女は相当まちがっているのかもしれない。いろんな人から「間違ってます」と言われるのは昨今のSNSの風潮のことかしらん。もしかしたら「イタ飯」として炒飯を食わされているのかもしれないが…それだと今やる必要がないのでSNSの線が強い。

やがて言葉は「まちがってま(す)」ばかりになる。いつのまに「す」のない国にやって来たのか。「た」をぬくタヌキのなぞなぞのような世界だ。夢の人は近寄るとのっぺらぼうのお面のようであった。そこに「まちがってま」ばかり聞こえてくるのである。私は、エレベーターで一人この状況に立ち会ったら泣く自信がある。

最後に「まちがってま」は「まちがってます」になって終わる。いや、かと思ったら「まちがってます…? か?」だった。「まちがってます」とはっきり言えるものは一つもなかったということだろうか。それとも単に言ってるうちに自信がなくなってきたのだろうか。考察は人それぞれにあるべきだろう。

久保田舞「Thread the Needle Day」 Photo: Hajime Kato

久保田舞『Thread the Needle Day』へ。体を自分から離れたモノとして捉えたり、やっぱり自分の体としたりするそうだ。どういうことだろう? パッとイメージできない。

始まると女性がいて、イヤホンのジャック部分を花瓶らしきものに入れた。花瓶を聴く…?? そして花を自分の口に…入れた。やってるなあ! 早々に自分の体をモノにしていた。今や盛大に花瓶である。花瓶っぽいものは椅子や机を倒したりしてどんどんモノの意味がなくなって、自分もぐにゃぐにゃして意味をなくしたり、脈絡のないことが続き、一瞬、脳がシャットダウンしそうになる(寝るときには脈絡ないこと考えると寝付きがよくなるそうですよ)。

イヤホンが引っかかる。「ほら。そうなると思ってたわ」とお母さんに小言を言われそうな現象だ。だんだんと、よりダンスらしい動きに。これが自分の体ということだろうか。花瓶からダンサーになるまでゆっくり変わっていく様が描かれているのか。おおー、ちょっとわかった。…でも一体なんでそんなことを!? すぐにわからなくなる。その行ったり来たりである。ダンサーが花瓶と行ったり来たりするように。

村社祐太朗「合火(準備)」 photo: Hajime Kato

村社祐太朗『合火(準備)』が始まる。女性が出てきて持ってきた木材を広げ始める。ねじの機構があるので組み立てキットのようだ。組み立てていくのを静かに観る。やがてアクリル板の衝立のようなものができた。今っぽい物だ。と思ったらまたバラし始めた。バラすんだろうなという時間が流れている。行きの地味さとちがって、帰りの地味さはスリリングだ。ここからどうするのだろうと思っていたら片付けてそのまま終わった。

こういう状況がなつかしい。「ここからどうするのだろうと思っていたらそのまま終わった」こそが私達が劇場でよく見てきたものだ。終わるとき、出演者は手でマルを作った。終わりの合図なのだろうが、マルによってなにかやりきった感じが醸し出ていた。衝立だけ持っていってピクニックが成功。これからのピクニックは、外で衝立を立てる方向に進化していくのだろう。

渡辺はるか(OrganWorks)「prey/pray/play」 photo: Hajime Kato

渡辺はるか『prey/pray/play』は食卓から始まる。フォークとナイフを持ったまま食卓から離れていき、ダンスが始まった。これも食事の表現の延長なんだろうか。ディズニーのアニメで食卓の肉が逃げ出したりするような。いや、それとも単にめちゃめちゃお行儀が悪いのだとしたらどうしよう。そんなこと言い出したら「気まぐれ」とか「気晴らし」とかなんでもよくなってくるな。

動機や目的はなんでもよくて、今ここに美しく動く人がいてそれは見ていて楽しい。

ポイフルみたいなものをかじって捨てる。立ち上がって食器を持ったまま歩いて引っ込む。皿を片付け始めたのだろうか。と思ったら、粒状のものが天井から落ちてきた…? 何をしているかわからないのだが体の動きが美しい。考えてみればこの人は今、何をしていても美しい。何をしてもいい状態、ということは最も自由な人でもある。これが自由な人か。今私は自由民権運動に集まってオッペケペー節を聴いていた聴衆と同じ気持ちなのだろうか。ちがうだろうな。

最後はダンサーが自分の顔を皿に置いてフォークとナイフで切りとり食べる。食事のダンスならそういうこともあるだろうなという感じだが、映像で見るとそこそこショッキングだ。「自分を食べたらダメですよ」という本能みたいなものが人間には備わってるのだろう。今、私が見たものは、人間の本来の部分と近いところにある表現なのだなと実感する。

荒悠平と大石麻央「ひとり」 photo: Hajime Kato

荒悠平と大石麻央『ひとり』には元の作品があるそう。400年以上生きるサメの日常生活の断片『400才』のスピンオフなんだそうだ。サメ? 自然映像? さらにスピンオフ? これは想像がつかないなと、蓋を開けてみたらサメの頭をつけた人が出てきた。よしきた。こりゃちょっとわからなさに腕まくりして臨もう。

手に灯りのようなものを持っているので深海にいるサメのようだ。掃除機をかけている。かと思えば山の中。鳥の声。暖かそうな場所。え、これは夢…?? 400年生きる深海のサメは春の山の夢を見る。それはちょっと素敵な考え方だな~と分かったような気にもさせてくれるが、サメが振り返るとサルがいる。どういうこと…!? また掃除しているサメ。サルはどういうこと!?

街にはたまに長くまっすぐな一本道があったりする。それは下に水道管が通っていて「水道道路」という名前だったりする。みんなそれぞれにそんなわが街の自慢道がある。

サメがそんな道を走ってきた。あるある、そういう道。共感したとたんに急に自分ごとのように思えてくる。電車に乗ってつり革につかまるサメ。おしゃれな雑貨店で犬とデートするサメ。私達の生活に似たサメの日々が映し出される。そうして家でひとり掃除をしている私達であり、深海のサメであり。

プロフィールから判断するとダンスなんだろうけど、ゆっくり動いて掃除から逸脱するようなこともない。サメっぽく、掃除っぽく、そうした動きをしている。大学のときに軽音楽系のサークルにいた。モッシュやヘッドバンキングに飽きてきて、スローモーションで動くのが疲れることに気づいた。これだけ疲れるということは、むしろこっちがコアな表現なんじゃないか。ゆっくりこそがハードコア。そう考えて客席で暗黒舞踏みたいな動きをしていたことを思い出した。嫌がられたのでゆっくりは時と場所を選ぶ。深海のサメと現代の私たちの掃除にはとても適している。

冨士山アネット「Unrelated to You Ver.ZIPPED」 Photo: Hajime Kato

いよいよ最後まで来た、冨士山アネット『Unrelated to You Ver.ZIPPED』。あなたには関係ないこと、という意味だろうか。なんだろうか。

シルエットのあるダンスが始まる。いや、これダンスじゃないな、手話? ダンスのようにきれいな動きだけど、手話知らないし困ったな。そんな時間がけっこう長く続き、いったん見終わったところまで時間を進めよう。

見たあとに待っていた感情は「信じられない!」である。それも言葉本来の意味での。そんな作品珍しいだろう。説明文を見返すと『「信じる」「疑う」あなたはどちら側の人間ですか?』とあった。このことか~。私はバリバリに信じてモリモリに裏切られた後はゴリゴリ疑っててそりゃあもうなんだか慌ただしかった。

映画『カメラを止めるな!』が公開されて話題になったとき、どうやらドンデン返しがあるようだと察した。劇場でびっくりするのが面倒くさいなと思って検索しまくって何が起こるか大体予想がついたうえで観に行った。予想どおりの内容だった。勝ったなと思ったと同時にあまり楽しめなかった。この作品にあるのはそんなドンデン返しではないので安心してほしい。私はこういうウソをあまり他で見たことがない。だんだんウソつきのパラドックス(「私は今ウソをついてます」という言葉の矛盾)みたいになってきたのでこの辺で。

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ZIPPED、無言のイベントはコロナ禍の下で生まれたものらしく、各演目も現在を反映したものが多かった。視聴者としても家にいながらの芸術鑑賞である。心配したが、意外と集中を保ったまま驚いたり考えたりすることができた。「高める」と家でも芸術を享受できるのだ。これはちょっと良いニュースだし、他にも敬遠していた配信を見てみようと思った。

ところでここまで私が書いてきたことは私が感じたことにすぎない。観た人それぞれに見方は生まれて、それ自体が豊かな体験だからこそアーカイブの視聴をお薦めしたい。

PROFILE

  • 空気の日記
  • エマらじお
  • わたし自炊はじめました
  • 交換日記 凪
  • utakata
  • Spiral Schole
  • 妄想ヴォイスシアター
  • アトリエおよばれ
  • TEXTILE JAPAN FOR SPINNER
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